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>ドイツと比較すると、日本の新聞の無反省ぶりは対照的です
>ドイツと比較すると、日本の新聞の無反省ぶりは対照的です
◆ 日本の巨大メディアを考える 日本共産党委員長 志位和夫
URLリンク(www.jcp.or.jp)
たとえば、「朝日」は、敗戦直後の1945年11月7日付の紙面で、「宣言 国民と共に立
たん」なる文書を発表して、経営陣の「辞職」と国民への「謝罪」をおこなっています。
しかし、「辞職」したはずの村山長挙社長以下の重役らは、数年後に復帰しています。
「読売」は、1945年12月、正力松太郎社長がA級戦犯容疑者として逮捕されますが、2年後
には釈放され、日本テレビの社長、「読売」の社主として、新聞メディア、放送メディア
の双方に「君臨」していきます。
ドイツと比較すると、日本の新聞の無反省ぶりは対照的です。ナチス・ドイツの侵略戦
争に協力したドイツのメディアは、米英仏ソの連合軍によって、いっさい存続させない方
針がとられ、それらのメディアは全部つぶされたといいます。そして厳重な資格審査のも
とに、戦争責任で汚れていない関係者に、戦後ドイツのメディアの創始、復活をゆだねる
ということをやったといわれています(『マスコミの歴史責任と未来責任』、日本ジャー
ナリスト会議編、1995年)。
ところが、日本では、朝日新聞にしても、読売新聞にしても、毎日新聞にしても、戦前
以来の名前すら変えないで、恥ずかしげもなく、戦後スタートしたわけです。侵略戦争に
協力した政党―政友会、民政党、社会大衆党なども、まともな反省はなかったけれども、
過去の名前は恥ずかしくてそのまま使えず、名前を変えて再出発せざるをえませんでした。
ところが、大手新聞は名前すら変えていないのです。そういう問題点が戦後の出発点であ
りました。