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尖閣領有に触れていない陸奥宗光
調査研究本部主任研究員 笹島雅彦
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)
和歌山城近くの岡公園(和歌山市)に建てられている、陸奥宗光の銅像。
旧紀州藩士の息子として和歌山に生まれた。
日本政府による尖閣諸島国有化(9月11日・閣議決定)に反発する中国の今回の対応には、
注目すべき新たな論点がある。日清戦争との関連である。
中国外務省は9月10日の声明で、「日本は1895年、甲午戦争(=日清戦争)の末期、
清政府の敗北に乗じて釣魚島を不法にも盗み取った。
日本は、台湾とその付属島嶼部の割譲を迫る不平等な馬関(下関)条約を結ぶよう清政府を脅迫した」との見解を示した。
同月27日、中国外相は国連総会でこの声明に沿って主張し、日本を名指し批判した。
これまで、日清戦争と日本が尖閣諸島の領有権を確立した時期との関連を、
中国は公然と主張してこなかった。
ただ、「古いにしえの時代から中国の領土」というばかりで、
日本の領有が不当であることの論拠をはっきりとは示してこなかった。
改めて、日清戦争外交秘録「蹇蹇録けんけんろく(陸奥宗光著)を開いてみると、
尖閣諸島の沖縄県編入の閣議決定(1895年1月)についての記述はまったく見当たらない。
もともと日清戦争とは直接関係のない国土確定の作業であり、
陸奥外相(当時)の眼中にはなかったのだろう。
北岡伸一・政策研究大学院大学教授は「日本は当時、無主地に対する先占として領有したのだから、
書いてないのは当然ですね」と語る。