12/10/03 02:39:45.29 0 BE:2619130098-PLT(12066)
>>1(の続き)
03?07年にベルリン特派員だった私は、04年にEU加盟したばかりのポーランドがドイツと衝突するのを目のあたりにした。
ドイツは第二次大戦後、東方の領土3分の1を失った。現ポーランド、チェコ領などから、ドイツ人が1500万人も追放され、途中で200万人が死亡した。
この領土の返還を求める勢力はドイツ与党と結びつき、ポーランドは反発した。
ところが07年に税関や国境管理をなくすシェンゲン協定がポーランドやチェコで発効。人の移動も完全自由化された今では、領土を巡る対立は聞かない。
ドイツ東部には多くのポーランド人が住み、ドイツ人はポーランドにビジネスチャンスを求める。国境の「魔力」を弱める努力が安定に寄与した好例だ。
EUはさらに99年のコソボ紛争で加盟国が爆撃さえしたセルビアを含め、バルカン半島諸国をEUに統合する構えだ。
火薬庫と言われたバルカン半島の国境の垣根を低くすれば安定がもたらされると欧州の政治家は信じている。
EUが理想郷でないのはご存じの通りで安直にEUモデルを輸入できるとも思わない。EUも冷戦時は体制の壁は乗り越えられなかった。
しかし、EUの平和と安定が示すのは、日中韓の国境の垣根を低くし、連携を強め、人の交流を進め、
共同体を作ることこそが東アジアに平和と安定をもたらすという可能性だ。
◇70年代のEU内地域対立に類似
日中韓共同体は夢物語と思うだろう。しかし、それを語るのは私だけではない。(>>3-5へ続く)
毎日新聞 2012年10月03日 00時19分
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