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南京戦を行った直後の徐州会戦での日本軍の活躍
黄河決壊事件(こうがけっかいじけん)は日中戦争初期の1938年
6月に、中国国民党軍が日本軍の進撃を止める目的で起こした
黄河の氾濫である。
事件当時は黄河決潰事件と表記された。中国では花?口决堤
事件(花園口決堤事件)と呼ばれる。犠牲者は数十万人に達し、
農作物に与えた被害も住民を苦しめた。
日本軍の対応
1.日本軍の2個工兵大隊と住民組織が決壊箇所の修理に当たる
2.日本軍が渡河用舟艇を200隻出して被災住民の救出に当たる
3.日本軍が嵩上げされた線路沿いに住民の避難誘導を行う。
4.冠水した地域の排水のために、日本軍は住民と協力して排水路の
建設、堤防の建設に当たる。
5.陸軍航空隊が大量の土嚢袋を投下し、地上部隊が住民と協力して
土嚢積み上げ作業を被災地で行う。
6.中国軍は黄河堤防決壊箇所の北岸に陣地を構築し、住民と
協力して堤防決壊箇所の補修工事をする日本軍に激しい攻撃を
仕掛けた。 住民避難誘導する日本軍に中国軍便衣が攻撃。
日本軍に救助された避難民は開封方面1万、朱仙鎮、通許方面5万、尉氏方面2万、その他数万であった[5]。
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