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日本軍は支那の言うとおり残虐な軍隊だったのだろうか・・・
<花園口>(かえんこう)
鄭州市から北へ18キロ。黄河の南岸にあった渡し場。この地名
が人々に知られるようになったのは、1938年、蒋介石が、ここで
堤を切ったことによる。
日本軍の進軍の早さに驚いた蒋介石はそれを阻止するために、
堤防を切った。
黄河は、陝西省と山西省の間の晋陝渓谷を黄土を削りながら
北から南へ駈け下り、中国五岳のひとつ崋山にぶつかって東へ
流れる。ここで河幅は一気に広がり緩やかな流れになる。黄河は、
呑み込んできた黄土を、ここで徐々に吐き出しながら流れる。
それが洛陽であり鄭州である。したがって、この辺りは年々河床
が上がる。洪水を防ぐために年々堤が高くなる。河は平地よりも
高いところを流れる。所謂天井川である。
ここで堤を切ると、どうなるか?
黄河の水が村を襲い町をおおい、1200万人以上が被災し、
死者の数は60万人と言われる。
現在では、花園口は、黄河の氾濫との戦いの象徴的な場所と
して、大規模な植樹が進められている。
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