12/09/15 13:17:32.70 coyYwJfbP
ID:DLf/my300
w
108:名無しさん@13周年
12/09/15 14:22:56.81 qytABdN60
ID:DLf/my300
くやしいのうwww雅子
URLリンク(www.yuko2ch.net)
109:名無しさん@13周年
12/09/16 01:53:22.27 G7t08IKQ0
女性自身 1989年7月18日号
美智子さま苦悩!
皇太子さま アルザスの恋
礼宮さま テームズ川の恋
URLリンク(auctions.c.yimg.jp)
女性自身 1997年2月18日号
美智子さま 三島由紀夫との「お見合い」秘話
URLリンク(auctions.c.yimg.jp)
110:名無しさん@13周年
12/09/16 07:40:27.46 Z879PnpJP
今朝の皇室番組で
次女の瑤子様が寛仁親王殿下の遺志を継いで
公務をされている様子が拝見できた。
111:名無しさん@13周年
12/09/16 11:03:24.34 Vu2CYGQwP
やや皇太子
112:名無しさん@13周年
12/09/16 13:19:34.27 8R1DTQ9L0
やや=ややこ=赤ちゃん
113:名無しさん@13周年
12/09/16 19:34:36.44 MRUDsO2D0
まだこんなことやってんのか、こいつらは。
浮世離れしたバカ野郎共。
114:名無しさん@13周年
12/09/16 20:09:05.44 Z879PnpJP
一般庶民でも、四十九日くらいはやる。
それを浮世離れとか。
115:名無しさん@13周年
12/09/16 23:05:40.62 loIxyDUD0
歴代院長が語る韓国文化院 その3
韓国文化院に残しておきたい話
第8代 韓国文化院院長 金 鍾文
○天皇・皇后両陛下
○皇太子殿下
○秋篠宮殿下御一家
○紀宮殿下
○高円宮妃殿下
URLリンク(www.yuko2ch.net)
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URLリンク(www.yuko2ch.net)
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116:名無しさん@13周年
12/09/17 10:00:58.88 6FlTTkKxO
>>110
寛仁親王家の女王お二方は地に足の着いた方だとお見受け致しますね。
長女の彬子殿下も瑤子殿下も皇族らしいお仕事をしっかり勤めておられる。
117:名無しさん@13周年
12/09/17 11:13:02.63 SnKK/EA00
レティシア妃40歳のお誕生日おめでとうございます。
URLリンク(img.yaplog.jp)
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URLリンク(img.yaplog.jp)
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118:名無しさん@13周年
12/09/17 11:16:34.20 zbTMNoc+O
>>117
皇族の法事スレで何やってんだお前は
おめでとうだなんて馬鹿なの?
119:名無しさん@13周年
12/09/17 18:15:09.28 OZ/AF0xP0
寛仁親王妃「信子さま」かくも永き別居生活の清算書①
ヒゲの殿下として親しまれた三笠宮家の長男、寛仁親王殿下が66歳で薨去された。
言うまでもなく、殿下には、麻生太郎元首相の実妹である信子さまという歴とした妃殿下がおられる。
が、宮内庁発表によれば、ご葬儀の喪主は、何故か長女の彬子女王殿下。いったい何故…。
がんの手術を16回も重ね、自らアルコール依存症であることも公表されていた寛仁親王殿下。
昨年12月に入院されて以後、幾度か容態の悪化が伝えられてきたが、いよいよ緊迫した状態
となった6月3日からは連日、ご家族やご親族のお見舞いが続いていた。
「次女の瑤子さまは付きっきりで看病され、彬子さまも急遽ポーランドから帰国。
そして三笠宮ご夫妻はもちろん、信子さまも4,5,6日と連日お見舞いに来られています。
しかし、薨去されたその6日、信子さまは午前中は確かにお見舞いに来られていたのに、
何故かご臨終の際にはお傍におられなかったのです」(宮内庁担当記者)
宮内庁の発表によれば、ご臨終を看取られたのは三笠宮妃殿下と彬子さま、瑤子さま、
それに殿下の姉である近衛寧子さん。しかも、妻でありながら、喪主でもない。
実は、新聞テレビは報じなかったが、ご夫妻は離婚こそしていないものの、
すでに3年余り別居生活が続いているのだ。
むろん、宮内庁も隠しているわけではなく、2009年秋に発表しているし、改めて聞いても、
「現在も、宮内庁分庁舎にお住まいです」(総務課)
と別居を認めるのだが、ただし、その理由は、
「病気療養のため」(同)
120:名無しさん@13周年
12/09/17 18:17:20.80 OZ/AF0xP0
寛仁親王妃「信子さま」かくも永き別居生活の清算書②
確かに信子さまは08年12月に気管支喘息のため慶応病院に入院し、8日ほどで退院。
が、その翌日、今度はストレス性ぜんそくのために再入院し、翌年10月に退院して以後は
ずっと別居状態が続いているのだ。
「要は、病名の通り、家庭内で過度のストレスを感じたために発病されたわけで、
入院及び別居は、家庭からの一時避難だろうと見られています」
先の記者はそう前置きし、こんなことも明かす。
「実は信子さまの入院期間中、寛仁親王殿下はもちろん、娘であるふたりの女王も一度も
お見舞いに行かなかった。これは母親と不仲というより父親に気兼ねしたのだろうと言われています」
かつて彬子、瑤子両女王にインタビューしたことのある皇室ジャーナリストの高清水有子氏は、
「彬子さまは理想の男性像として殿下を挙げておられました。茹ですぎて芯がなくならず、
かと言って固すぎずという意味で”アルデンテ”と例えられていたのが印象的です」
と言うし、自らのラジオ番組に度々出演してもらうほど殿下と親交が深かった
『国際関係学研究所』の天川由記子所長も、
「殿下は信子さまのことをノンチと呼ばれていて、“うちのノンチはね”と話しておられましたよ」
と仲睦まじい様子を振り返ったが、一方では、
「信子さまには気位の高い面があり、必要以上にプリンセスとして気負っている感じでしたね」(知人)
という声があるのもまた事実。やはり、殿下の長年の闘病と破天荒な生活、そしてその看護から、
やがて互いにストレスを強めていったのかも…。
(週刊新潮 2012年6月21日号)
121:名無しさん@13周年
12/09/17 18:28:18.59 LNNMXLzN0
“ヒゲの殿下”と別居8年の妻?信子さま「娘たちとも断絶…」【“ヒゲの殿下”三笠宮寛仁】 ①
URLリンク(jisin.jp)
「お父さま!」と長女・彬子さま(30)、二女・瑶子さま(28)が呼びかけ続けるなか、
三笠宮寛仁さまは息を引き取られた??。6月6日午後3時35分、享年66。
『ヒゲの殿下』として親しまれた寛仁さまは、’91年の食道がんの手術以来、
21年間で16回も、がんに関する手術を受けながらご公務に取り組まれてきた。
千代田区・杏雲堂病院の病室で最期を看取ったのは2人のお嬢様のほかに、
母・百合子さま(89)、姉・近衛甯子さん(68)。しかし、
結婚生活32年目になる妻・信子さま(57)のお姿はなかった。
麻生太郎元首相の妹でもある信子さまは、’09年10月から病院と同じ
千代田区にある旧宮内庁長官公邸で、お一人で生活されている。
宮内庁関係者はこう話す。
「公式的には”赤坂御用地内にある寛仁親王邸で生活されると、
ストレス性ぜんそくの再発のおそれがあるから”と、説明されています。
しかし、寛仁さまご自身が、夫婦関係がよくないことを認めていらっしゃいました……。
信子さまは’04年夏から、胃潰瘍と更年期障害のご療養ということで、
軽井沢の別荘で長期のご静養に入られました。それ以来、ほぼ8年にわたり
寛仁さまとは実質的に”別居生活”を送られてきたのです」
122:名無しさん@13周年
12/09/17 18:30:28.87 LNNMXLzN0
“ヒゲの殿下”と別居8年の妻?信子さま「娘たちとも断絶…」【“ヒゲの殿下”三笠宮寛仁】 ②
URLリンク(jisin.jp)
7日、寛仁親王邸で、ご遺体を棺に納める『お舟入』、皇族方がご遺体に
最後の対面をする『拝訣』という儀式が行われ、彬子さまや瑶子さま、
そして皇太子ご夫妻や秋篠宮ご夫妻などが参列された。
だが、宮内庁担当記者によれば、病室でのご臨終の際も、
その後のお別れの儀式でも”ご夫婦の対面”は一度も実現しなかったという。
また、お二人の別居生活は夫婦の亀裂を広げるだけではなく、
信子さまと彬子さま・瑶子さま姉妹の関係にも影を落とすことなった、
と三笠宮家に近い人物は話している。
「彬子さまと瑶子さまは、もともと”パパっ子”でした。それが、
信子さまが親王邸を出て行かれた後、ますます父娘の絆が強まっていったのです。
お嬢さまたちからすれば、”病気のお父さまを置いて、家を出てしまうなんて”
というお気持ちもあったようです。信子さまは孤独感を強め、
お嬢さまたちとも距離をとるようになってしまいました」
123:名無しさん@13周年
12/09/17 18:36:36.74 LNNMXLzN0
宮内庁関係者「寛仁さまと妻・信子さまに夫婦間の衝突も」①
URLリンク(www.news-postseven.com)
6月6日、三笠宮寛仁さま(享年66)が多臓器不全のために亡くなられた。
寛仁さまのご遺体を棺に納める儀式「御舟入」が6月7日、赤坂御用地内にある
寛仁親王邸で営まれ、続いて、皇族方がご遺体と対面される「拝訣」が行われた。
この儀式には天皇皇后両陛下をはじめ、皇太子ご夫妻も参列され、最後の別れを惜しまれた。
“ヒゲの殿下”の愛称で親しまれた寛仁さまは、皇族の枠にとらわれず、
新聞、テレビ、ラジオ、雑誌などのメディアに登場しては、
“皇室のスポークスマン”として皇族の本音を国民に語られてこられた。
「皇籍離脱」発言や「がん」「アルコール依存症」の公表など、
皇室のなかでは常に型破りで“異端児”的な存在だった。
そんな寛仁さまは1980年11月、8年越しの恋を実らせ、信子さま(57才)とご結婚。
信子さまは麻生太郎元首相(71才)の実妹で、母方の祖父が故・吉田茂元首相という名家の出身。
聖心女学院を経てイギリスのロスリンハウス・カレッジを卒業後、松濤幼稚園の英語講師を
務められるなど当時は珍しいキャリアウーマンだった。
ご成婚の翌年に長女・彬子さま(30才)、1983年には次女・瑶子さま(28才)を授かられた。
しかし、1990年暮れ、そんな幸せな日々に暗い影を落とすできごとが。
寛仁さまに食道がんが見つかったのだ。すぐに手術を受けられるが、
それと同時に信子さまの献身的な看病が始まった。
信子さまは「殿下のお体のことが私の仕事ですから」と周囲に語られる程尽くされた。
寛仁さまは亡くなるまでの約20年間で16回の手術をお受けになるが、
実はその途中から信子さまの献身的なお姿は見られなくなっていった。
124:名無しさん@13周年
12/09/17 18:38:55.64 LNNMXLzN0
宮内庁関係者「寛仁さまと妻・信子さまに夫婦間の衝突も」②
URLリンク(www.news-postseven.com)
2004年4月、信子さまは胃潰瘍と更年期障害のため、軽井沢の姉の別荘で
療養生活を送ることとなり、寛仁さまとの別居が始まったからだ。
公には病気が理由だったが、実際には、このころからご夫婦の間には大きな溝ができていた。
「寛仁さまとはご病気の公表を巡って意見が対立したこともありました。さらに、
信子さまは、ご自分が病気になられたことで、皇族としてのお立場に不安を抱かれたこともあり、
そのような思いを巡って、夫婦間の衝突もあったそうです」(宮内庁関係者)
2年間の療養生活の末、2006年8月、寛仁親王邸に戻られた信子さまだったが、
同じ家で暮らしながらも、おふたりが顔を合わせることはほとんどなかったという。
2007年の歌会始で信子さまは、こんな歌を詠まれている。
澄みわたる月の光をあふぎみて今の世思ひ次の世を思ふ
一方の寛仁さまも2007年10月、『ニューヨーク・タイムズ』のインタビューでこう語られた。
「家庭内では揉め事も多かった。26年間も連れ添っていればね」
信子さまは2007年12月からは気管支ぜんそくのため入退院を繰り返され、
さらに2009年10月の退院後はご自宅には戻らず、皇居にほど近い旧宮内庁長官公邸で
おひとりでの生活を送られ、いまに至っている。
前述した信子さまとのご夫婦の溝は最後まで埋まらず、信子さまは臨終にも立ち会われず、
前出の「御舟入」「拝訣」にも参列されなかったという。喪主も長女の彬子さまになる。
ご夫婦関係に苦労される一方で伝統ある皇室を守るために腐心され、力尽きた寛仁さま。
これからは天国で、未来の皇室を見守られることだろう。
※女性セブン2012年6月28日号
125:名無しさん@13周年
12/09/17 19:01:37.85 OZ/AF0xP0
寛仁親王妃・信子さま 皇籍離脱したら約3億円支給との見方①
URLリンク(www.news-postseven.com)
夫君である“ヒゲの殿下”を亡くされた寛仁親王妃・信子さま(57才)には、いま大きな選択の機会が与えられている。
寛仁さまのご葬儀に際しても喪主をお務めにならず、関連行事もことごとく欠席された信子さま。
いま宮内庁関係者の間では、こんな声が上がっているという。
「もしかしたら、このまま信子さまは、皇籍を離脱されるかもしれない」
その背景には長きにわたる寛仁さまと信子さまの別居と、2人の娘と信子さまの不仲がある。
寛仁さまが逝去されるまで、別居は8年にも及んだ。その別居生活のなかで、
信子さまは2人の娘たちとも距離を置くようになっていったという。
これまで“離婚”を避けてこられた信子さまにいま、“皇籍離脱”の話が持ち上がっているのは、
いったいどうしてなのだろうか。それは皇室典範第14条に、次のように記されているからだ。
<皇族以外の女子で親王妃又は王妃となった者が、その夫を失ったときは、その意思により、皇族の身分を離れることができる>
民間から嫁がれた女性が、未亡人となられた折は、自身の意思でいつでも
皇族をやめることが可能だという規定だ。信子さまはこの2つの条件に当てはまる。
「いままで夫君に先立たれ未亡人となられた女性皇族は皆、夫の死後も皇室に残られ、
宮家、そして皇室を守るためにお務めをされてきました。
この皇室典範第14条の規定によって皇籍を離脱された前例はないんです」
(元宮内庁職員の皇室ジャーナリスト・山下晋司氏)
126:名無しさん@13周年
12/09/17 19:03:49.91 OZ/AF0xP0
寛仁親王妃・信子さま 皇籍離脱したら約3億円支給との見方②
URLリンク(www.news-postseven.com)
2002年11月、高円宮さまが47才の若さで亡くなられたが、
妻・久子さまは皇籍を離脱されず、宮家の当主となられ、今日に至っている。
「久子妃殿下は、皇族としての役目を果たしながら、3人のお子さまを立派にお育てになりました。
しかし、皇室典範の規定には、期限が明記されていませんので、もしも、これから久子妃殿下が
“皇籍離脱をしたい”というお気持ちになられれば、それは可能だと思われます」(前出・山下氏)
現在、信子さま、久子さま以外で、第14条の・皇族以外の女子で親王妃又は王妃となった者・
の条件に当てはまるのは、皇太子妃・雅子さまと秋篠宮妃・紀子さま、三笠宮妃・百合子さま、
常陸宮妃・華子さま。あくまで仮定の話だが、雅子さまや紀子さまも、信子さまと同様の事態が
起きた場合、法律上は皇籍離脱は可能となる。
その場合、お子様方である愛子さまや眞子さま、佳子さまは、どのような状況になられるのか。
「お子様方の皇籍離脱については別の条項(皇室典範第11、12、13条)が適用され、
母親である妃殿下の離脱とは関係なく、お子様単独の問題となるわけです。まず、
15才以上の内親王の場合は、本人に離脱の意思があり、かつ皇室会議で承認されれば離脱できますが、
15才未満の場合は、本人の意思によって離脱することはできません」(前出・山下氏)
もし今回、その前代未聞の皇籍離脱劇が実現するとすれば、その後の信子さまが、
どのような生活を送られるのかという点にも注目が集まる。
「皇族の身分を離れる場合は、女性皇族が民間に嫁がれるときと同様に宮内庁から
一時金が支払われます」(前出・山下氏)
127:名無しさん@13周年
12/09/17 19:05:59.51 OZ/AF0xP0
寛仁親王妃・信子さま 皇籍離脱したら約3億円支給との見方③
URLリンク(www.news-postseven.com)
黒田清子さん(元紀宮さま)が結婚された際、一時金として1億5250万円が支給された。
これは皇室経済法で定められた皇族費の10倍以内という規定から算出されている。
内親王の皇族費は1525万円であったため、その10倍の満額が支払われたこととなる。
「現状の信子妃殿下の皇族費は清子さんと一緒で、年額1525万円ですが、
夫君を失って独立の生計を営む親王妃は年間3050万円となります。
その10倍の3億500万円を超えない範囲の一時金が支給されます。
仮に減額されるとしても、9割が妥当だと思いますので、少なくとも
2億7450万円が支給されるはずです」(前出・山下氏)
いずれにしても約3億円という莫大な一時金を手に、皇室を離れることとなる。
「この金額が多いかどうかは評価が分かれると思いますが、皇籍を離脱して一般人となっても、
元皇族ということは動かしようがなく、やはり、それなりの品位を保持していただくためには
必要な額なのです」(前出・山下氏)
ご自身の意思で“承認いらずの皇籍離脱”の選択が許される信子さまだが、
いざ実現となると宮内庁からの強い抵抗が予想される。
「信子さまから“皇籍離脱”の話があっても、前例主義の宮内庁としては、
なんとしてでもご本人を説得して引き留めようとするでしょうね。
もし離脱が現実のものとなってしまえば、国民の皇室観への影響は避けられませんから…。
また、女性宮家創設問題が議論されるなか、これ以上、皇族が減ることだけは
避けたいという考え方もありますし」(宮内庁関係者)
信子さまのシナリオが実現するか否かは、将来の皇室を考える意味でも、実に重要なことといえる。
※女性セブン2012年7月5日号