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>>362
「私こそが生き証人」という元慰安婦の証言。
①【2004年12月5日】毎日新聞:
証言によると、姜さんは14歳のころ「慰安婦リスト」に掲載されたことを知り、小学校をやめて親せき方に隠れ、
連行を逃れた。だが、実家に戻ったところを巡査に連れ去られ、中国で慰安婦にさせられたという。
②【2007年3月13日】北海道新聞:
「カーキ色の服を着た軍人と、黒っぽい服を着て腰にサーベルを付けた巡査に両腕をつかまれ、トラックに乗せられた」。
▼十六歳だった。そのまま慰安所に行かされた。いま七十九歳、道内各地で証言を続ける。釧路の集会では、
安倍首相が「官憲による強制連行的なものがあったということを証明する証言はない」などと「狭義の強制」を否定したことに、
憤りの涙を流したそうだ。
③【ナヌムの家歴史館ハンドブック】:
慰安所に来た翌年の春に腸チフスにかかり、高熱が続き、食事も摂れなくなってしまった。
1945年初夏の頃、軍人に連れられて車に乗せられて山のふもとに行くと、すでに薪を積み上げ、火を燃やしていた。
しかしそのとき、朝鮮人たちが日本の軍人と乱闘のすえ、ハルモニを背負って逃げた。
④【2007年9月3日】毎日新聞:
姜さんは1943(昭和18)年、まだ16歳だった時に「工場で働かないか」とだまされて中国の牡丹江などの
「慰安所」へ連行された。「無理やり連行されたのに、金のためにやっていると言われて傷ついた」などと
涙ぐみながら話した。また、「腸チフスにかかった者は山に連れて行かれ、穴の中で生きたまま焼かれた」
などと声を詰まらせながらも強い口調で証言した。
⑤【2012年8月30日】中央日報:
「慶尚北道尚州(キョンサンブクド・サンジュ)の干し柿屋の娘の私が15歳で中国吉林市の慰安所に
連れて行かれ4年過ごしました。2000年に帰国したが私以上の証拠がどこにあるのか。
それでも強制連行の事実はないとは、彼らは人なのか…」。
何で話すたびに内容が違うの?慰安婦になった経緯も違うんだけど、どうしてこんな証言信じられるの?しかもどう見ても女衒に親から売られてるだけだし。