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「従軍慰安婦問題」表面化する以前は、中曽根元首相や産経鹿内信隆社長も自著で慰安婦募集について自慢げに
記載していた。
1983年産経新聞社長だった鹿内信隆氏の証言
フィリッピンでの日本軍に関して(鹿内氏は当時陸軍省勤務)
>本間軍団の経理部のいちばん偉い人は、私どもの経理学校の上官だった人ですが、
>名前はここで申し上げないほうがいいとおもう。上陸作戦がすんでから、
>その人が陸軍省に報告に来られた。経理担当の最高の師団将校ですから。
>で、その人の報告は、要するに「すばらしい」というんです。
>何がすばらしいのかといったら、マニラ大学の女の学生は全部セレベスとか、
>方々の島々の豪族の娘たちが集まっていた。
>ところが、日本軍がマニラに上陸したら、島に帰れなくなっちゃった。
>寄宿舎にいるやつが、みんな孤立しちゃったわけだ。
>それを日本の将校がいただくわけだ。
>それが、いかにすばらしいかという報告で終始一貫おわっちゃったわけね。
>その戦況報告のはなしが……。
「いま明かす戦後秘史 上」サンケイ出版 1983 P29~30
▼元日本兵の証言に見る日本軍慰安婦 @林博史研究室
URLリンク(www32.ocn.ne.jp)
元サンケイ新聞社社長鹿内信隆は桜田との対談で、陸軍経理学校時代の話が
「慰安所の開設」になったとき、次のように語っている。
>「そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪い
とか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、
下士官は何分、兵は何分―といったことまで決めなければならない(笑)。料
金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが『ピー屋設置要綱』という
んで、これも経理学校で教わった。」(桜田武?鹿内信隆『いま明かす戦後秘史』)
>慰安所を担当した主計将校に慰安婦の選別の基準まで軍で教育していたことが
わかる。