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神道・天皇教は、天皇制という「人間の生命を超えた、制度でありながらある種の連続した生命体」であることが当然のように語っているが、
これ自体、近代市民国家や近代政治学が、王権神授説に対して必死に否定してきた、根幹の理屈。
考えれば、なんでただの人間の一族の代替わりを、他の国民がこぞって祝わなければならないか。
なんで、3,4歳の子供相手に、いい年をした大人が『様づけ』をするのか。
親が偉いとして、こどももえらい、というのは封建制そのものだが、これは、結局、
封建領主本人より、周囲の取り巻き達も代々世襲を繰り返して、既得権を握って離さない、
というシステムになっている。
最近、維新の元勲たちを無条件に持ち上げる風潮があるようだが、
彼らのその後はどうか。
維新を起こした俺たちは、一般国民より偉大だから、子子孫孫まで華族として国民に君臨する、
天皇の名代である、と言い出したわけだ。
こんな連中のどこが、偉いのか。
維新の元勲の中で、例外を除き、華族になることを辞退した者がいない、華族制度に反対した者がいない。
というのはどういうことか。
たんに、将軍・旧藩主といった旧勢力を、天皇を担ぐことで、下克上しただけ、ということだ。