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173 名前 : <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2006/12/22(金) 08:48:37 ID:Pb0vxpUC
「濃縮パック コリアンカルチャー」。最近読んだ中で一番興味深い本でした。
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27才で韓国から留学生として来日してそのまま日本に住み着いて、もう20年以上になる呉善花
(オ・ソンファ)さんが、日韓両方の文化を知り尽くした立場から、両国の文化を比較しています。
呉さんがとっても苦労したのが日本語の受身形の使い方だったそうです。韓国語では能動態の使い方
しかない言葉が、日本語では受身形で使われるので、なぜわざわざ受身形にするのかが理解できずに
困ったそうです。例えば、「女房が逃げた」でいいのに「女房に逃げられた」とわざわざ言うのはなぜ?
といった具合。
呉さんが苦労の末にたどりついたのが、「受身形は反省を意識していればつかえる」ということでした。
女房が逃げた責任が自分にあるから「逃げられた」となるわけです。
そして韓国人の場合は、自分に責任があったとしても、「逃げられた」と言わないのはもちろん、
「逃げた」どころか「帰らせた」と表現するのが一般的なんだそうです。
自分の非を進んで認めるというのは、韓国人にとってありえない精神構造なのです。
この点は、やたらと自分が悪かったと反省ばかりしている日本人の精神構造の方が世界標準から
見て珍しいのかもしれません。
なるほどなぁと思いました。日本人の場合は「被爆61年」つまり「原爆を落とされて61年」
と確かに受身形の表現です。これを韓国人風に能動態で表現するなら、「アメリカが原爆を落として
61年」となります。同じ事実を表すのに表現を変えただけで、アメリカへの恨みがぐっと増します。
ふり返ってみると、「アメリカが原爆を落として61年」なんて表現は、これまで一度たりとも使った
ことが無いことに気付きます。それが日本人の精神構造の特性であり、だからこそ、戦後にアメリカ
文化を素直に受け入れることが出来たのかもしれません。
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