12/08/01 12:51:28.64 0
>>1の続き
社会部記者は事件や事故が起きれば、デスクに指示されなくても取材して記事にする。
それが劇的であれば、黙っていても紙面に載る。
だが、デモという事象は記者から見ると、見た目は別にドラマチックでもなんでもない。
大勢の人が集まって「原発再稼働反対」と声を上げた。以上、ピリオドだ。
何度繰り返されても同じだから、見たままを描写するスケッチ報道にとどまるなら、ニュース価値は小さくなる。
そこから一歩踏み込んで書こうと思えば、必然的に社会的背景や主張の中身、参加者の気持ちなどに深く切り込んでいかなければならない。
だが、そこまで突っ込んだ記事を掲載できるかどうかは、記者個人の判断を超えてしまう。
デスク以上が「よし、いいぞ。それで行け!」と後押ししてくれなければ取材に動けず、書いたところで紙面にも載らない。
勝手に取材して記事を書こうとしても幹部の判断と異なれば、良くて「はい、ご苦労さん」でボツ。
悪くすれば「お前は何を勝手に取材してるんだ」と怒られるのが関の山である。
そうなれば、やがて記者の出世にも響きかねない。このあたりは新聞によって微妙に「空気」が違う。
鳩山登場はいつもと同じ抗議行動に目新しさと政治性を付け加えた。
中には「鳩山が温室効果ガス25%削減を言い出したから、それまで以上に原発推進になったんじゃないか。
そんな鳩山がいまさら反対なんて無責任だ」という批判もある。
だが、新聞を作る側の理屈で言うと「鳩山が登場したから記事になった」という話になる。
新聞は新奇性をなにより優先するから、別に反原発に肩入れするつもりはなくとも記事にする。
デモをする側と報じる側は、かくも互いの行動原理と意図がずれている。
朝日新聞は7月21日付から社会面で「街頭へ」というワッペンを貼り付けて抗議行動の連載記事を始めた。
朝日は本気で反原発に舵を切ったのだろうか。少なくとも現場の記者は「やる気になった」と思いたい。
以上