12/07/22 01:56:02.18 HxTxOs6a0
>>626
待ち惚けという歌の元ネタ
上古の世は、人間は少なくて鳥獣が多かった。そして、人間は鳥獣らに勝てなかった。
そこに一人の聖人があらわれて、木を組み合わせて住居を作り、危害を避けられるようにした。
大いに喜んだ人々は彼を世界の王者として頂いた。
また人々は、草木の実や貝類を食べたが、生臭くて胃腸をこわすものが多かった。
そこに一人の聖人があらわれて、木をこすって火を起こし、その火で生ものを調理した。
大いに喜んだ人々は彼を世界の王者として頂いた。
中古の世になると、あちこちでしきりに洪水が起こったので、
鯀(こん)と禹(う)とは河川を切り開いて治水に成功した。近古の世には、夏(か)の桀(けつ)や
殷(いん)の紂(ちゅう)が暴政を行ったので、殷の湯王と周の武王とは彼らを征伐した。
かりに中古の夏王朝の時代に、木を組み合わせて住居を作ったり
木をこすって火を起こしたりする者がいたなら、きっと鯀や禹に笑いものにされただろう。
また近古の殷や周の時代に、河川を切り開く者がいたなら、
きっと湯王や武王に笑いものにされただろう。
そうしてみると、いま湯王や武王たちの道を、今の時代にも通用するとして賛美する者がいるとしたら、
きっと新しい聖人たちに笑いものにされるだろう。それゆえ、聖人は古いことなら何でもよいなどとは考えず、
永久不変の規準などというものにも従わない。その時代の事情をよく考えて、それに見合った対策を打ち出す。
宋の国の人で畑を耕している者がいた。
畑の中に切り株があり、たまたま兎(うさぎ)が走ってきてその切り株にぶつかり、首を折って死んだ。
兎を手に入れた彼は、それから畑仕事をやめてしまい、切り株のそばで兎がやってくるのを待ち続けた。
もちろん兎は二度とは得られず、彼は国じゅうの笑いものにされた。
いま古代の聖王の政治にならって現代の民を治めようとするのは、すべてこの切り株のそばを離れずにいるのと同類だ。
民主が愛されもせず怖がられないのは、民衆を愛すと理想ばかりを言い刑罰は身内に甘く誰もが侮ってるから