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★都留文科大名誉教授・笠原十九司さん
―今年は南京事件(南京大虐殺)から75年。そもそも、なぜ南京で、だったのでしょう。
事件は日中戦争の始まった1937年、旧日本軍が、上海から国民政府の首都・南京を攻略するなかで
起きました。軍中央は当初、戦線を拡大しない方針でしたが、現地最高司令官の松井石根大将
=東京裁判で死刑=らが「南京を制圧すれば中国は屈服する」と、独断で兵を進めたのです。
―無理な作戦だった。
上海から南京までの距離は約300キロ。東京から名古屋の手前までぐらい。この間、後方から
装備や食料の補給はなく、兵たちは略奪を繰り返した。そのなかで住民の殺害や強姦も横行しました。
軍は南京を包囲し、37年12月10日の総攻撃開始から4日目に、中国の防衛軍を打ち破って占領した。
しかし食料がないのですから、捕虜を収容できません。捕虜の人道的な扱いなどを取り決めた
ハーグ陸戦法規を無視し、既に戦闘を放棄した中国兵を次々と殺害しました。治安が回復するのは
翌38年の3月。それまで一般市民を巻き込み、殺戮を繰り返しました。事件の背景には中国人への
差別意識があり、日本兵のストレスのはけ口になったとみられます。
―河村たかし名古屋市長ら、事件の存在自体を否定する発言が繰り返されます。
政府は「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できない」との見解を出しており、
学問的にはもちろん、政治的にも、すでに論争は決着していると思います。しかし最近は現職
閣僚以外の国会議員や大学教授のほか、河村市長らのような自治体の首長が否定の
発言をしている。
従軍慰安婦の問題と同じく、否定論をふりまくことは被害者を二重に苦しめます。それが、どんなに
国際的に恥ずかしく、日本の評価をおとしめているか。なぜ、そこに思いが至らないのか。
南京事件は、人権の問題であり、日本の民主主義にかかわる問題なのです。(つづく)
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※前(★1:7/18(水) 14:29:04):スレリンク(newsplus板)