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そして、住であるが、これもまた独裁者のそれである。
多摩にある宮本邸は千坪の敷地を誇り、出入り口は常に共産党のガードマンが配備され、
「数名の秘書、十数名のボディーガード、専属の医師、看護婦、保健婦に囲まれて
生活(袴田里見『昨日の同志宮本顕治へ』)」していた。
伊豆に建てた別荘は二棟あり、それぞれ夏用と冬用の別荘として利用された。
乗用車はトヨタに特注した専用の高級車を愛用した。
どこへ行くにも自分専用の料理人が同行した。
後に参議院議員に立候補し当選するが、国会に出るのは年に一度のみ。
それで居ながら国会から歳費が支払われ、年金も手にする。その上、共産党からの
給与もかなりの高額であり、推定でも年に3億円以上の収入があった。
しかも、その収入は闇から闇へと移され、税金はほとんど納めることがなかった。
一説によると、宮本が納めた税金は消費税だけであったと言われている。
これが『庶民の味方』を標榜する共産党トップの暮らしである。
共産党が打倒せよと日々訴える特権階級のそれでもここまではいかない。
そして、この時の宮本は、自身を苦しめる戦前の事件のことを埋もれさせる
ことにも成功したと確信していた。
事実、ここまでの三〇年間、誰もとりあげなかったのだから。
日本共産党の研究 (2) (講談社文庫)/立花 隆