12/07/17 17:43:21.16 Z4Wp+kXC0
>郭が書いた文書を集めた『石泉山房文集』。このうち、
>帰国後に琉球への航海中の模様を上奏した文のなかで「行きて閏(うるう)五月初
>三日に至り、琉球の境に渉(わた)る。界地は赤嶼(せきしょ)(大正島)と名づけら
>る」と記していた。現在の中国は大正島を「赤尾嶼(せきびしょ)」と呼んでいる。
これだけだと琉球と中国の境が
大正島と言っているだけで
どっちに属するとも言っていないじゃないか
> 1683年に派遣された清の琉球使節、汪楫(おう
>しゅう)が道中を詠んだ漢詩で「東沙山(とうささん)を過ぐればこれ●山(びんざん)
>の尽くるところなり」《現在の台湾・馬祖島(ばそとう)を過ぎれば福建省が尽きる》
>と中国は大陸から約15キロしか離れていない島までとの認識を示していたことも分
>かった。
こけだけだと福建省の限界を言っているだけじゃないか
台湾は福建省とは別だったのではないか
どっちもむしろはっきりした証拠じゃないぞ?