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>>725
1941年12月9日 大韓民国臨時政府主席金九と、外務部長趙素昴の署名で対日宣戦布告。
しかし、布告文書は日本政府に通達されておらず、実効性はなかった。
1951年5月 ワシントンで開催した米英協議
イギリスが「韓国は日本と交戦状態になかった」として韓国の署名に猛反対。
1951年7月9日 米Dean Rusk国務長官特別補佐官・梁裕燦韓国大使会談
韓国大使に「日本との戦争状態にあり、1942年1月の連合国宣言に署名した国家のみが講和条約に署名できる。
従って韓国は署名国とはなれない」と通告。韓国大使は「日本と戦った韓国人部隊が中国にあった。
臨時政府として対日宣戦布告をした。」と抗議。しかしアメリカは、「韓国臨時政府を一度も承認したことはない」と拒否。
1951年8月16日
米国務省が講和条約最終草案を発表。韓国の不参加が決定。
教科書内の記述と相反する内容ですね。
韓国の歴史教科書ですが、皆さんは1940年代が「空白」に近いほど簡単な記述になっているのに気付きましたでしょうか。
本来なら、「光復軍の活躍」そして大々的な「抗日戦争の実態」を書かなければならないところですが。何故なのでしょうか?
以下引用
最大の理由は、その「抵抗史観」にしたがえば、この時期にはめぼしい抵抗の歴史が見あたらないためである。
解放後に、「金日成抗日革命神話」を作り上げた北朝鮮においてすら、1940年代は空白になっている。
韓国の公式史観が強調する上海亡命政権の流れをくむ「光復軍」が、
重慶の蒋介石政権やそれを支援していたアメリカ軍の指導下にあったように、
旧満州にいた金日成の「人民革命軍」も共産系の中国人の下で、極東ソ連軍に組み入れられ、極東ソ連にいた。
つまり、海外でも独自の「独立戦争」は存在しなかったのである。
「自分達がこうありたい、こうあったはず」という願望や感情が事実より優先してしまうのは、
歴史認識問題だけでなく、様々な分野で見ることが出来ます。