12/07/05 21:48:56.60 zqhITJfB0
>>415
でもない、江戸市中にももんじやと称した獣肉を食べさせる店が
結構存在して、半ば公然と肉類は食べられていた、もちろん
肉食民族みたいに毎日食っていたわけではないが、幕末に日本に来た外人は
ももんじやの軒先にぶら下げられたサルをみて、サルを食うと驚いたと
書き残されている、もともと、仏教伝来以降5畜(牛・馬・サル・鶏・犬・・だったかな)
の食用禁止令が、何度か出ているのは守られていなかったからなんだけどね、
江戸時代でも綱吉の生類哀れみの令までは、結構肉食されていたようだ
大道寺友山は落穂集の中で、若い頃は犬がいると武家町方共に下々の食事としては
犬に勝る物はなく、これを打ち殺して食べていたので、市中に殆ど犬は居なかったと書いている