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刑事法学の権威で東大名誉教授や最高裁判事を務め、退官後は死刑廃止を訴えた団藤重光
(だんどう・しげみつ)氏が25日午前5時48分、老衰のため自宅で死去した。98歳だった。
岡山県出身。葬儀は29日午後1時半から東京都千代田区麹町6の5の1の聖イグナチオ教会
大聖堂で。喪主は義妹勝本稔子さん。葬儀委員長は松尾浩也東大名誉教授。
1913年11月山口県吉敷郡山口町(現山口市)に生まれ、岡山県で育つ。35年東京帝大
法学部卒。戦後、司法省(現法務省)嘱託として現行刑事訴訟法の立案に参画。東大教授、
同法学部長、慶応大教授を経て東大名誉教授に。「刑法綱要総論」などを著し、刑事法学の研究
で優れた業績を残した。
74年から83年まで最高裁判事。「疑わしきは被告人の利益に、という鉄則が再審にも適用
される」と、再審の門を大きく広げた「白鳥決定」に関与した。「大阪空港公害訴訟」では住民の
夜間飛行差し止め請求に理解を示し、参院の定数訴訟でも「異常な格差を放置してきた国会の怠慢」
を指摘して「違憲」と主張するなど、リベラルな反対、補足意見を数多く述べた。
定年退官後は天皇陛下が皇太子時代に東宮職参与として、公私にわたり相談役を務めた。
日本学士院会員、文化功労者に選ばれ、勲一等旭日大綬章を受章。95年には文化勲章を受章した。
その一方で、最高裁判事として死刑事件に関与した経験を踏まえ、誤判の危険性を理由に
死刑廃止を訴えたほか、脳死を法律上の死と認める見解を発表し、論議に一石を投じた。
▽時事ドットコム
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