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>>179
■専門家「江戸時代でも20代以上は『年増』と呼ばれていた、40代以上は『婆』」
◆江戸文化研究家 40代以上女性は“婆”と呼ばれていたと解説 URLリンク(www.news-postseven.com)
「江戸時代に熟女という言葉はありません。代わりに“年増”がその概念に該当します」
こう語るのは、江戸の浮世絵や艶本、性文化に詳しい白倉敬彦氏だ。
「当時は20歳を超えると年増と呼ばれました。“娘”と呼ばれるのは10代だけです。娘でも、結婚したり出産すれば年増とみなされます」(白倉氏・以下「 」内同)
年増の年齢層は20歳から35歳くらいまで。25歳あたりで“中年増”、30歳を超えると“大年増”になる。
「吉原の遊女の引退年齢が27歳、大奥の女中も30歳になったら、“お褥(しとね)さがり”といって将軍とのセックスは遠慮しなければいけません。
40代は残酷かつ失礼な呼称ではありますが“婆(ばあ)”でした」
浮世絵や艶本に登場する年増や婆は、「おかみ」「奥女中」「いかず後家」などに大別される。
現代なら、さしずめ人妻とキャリア、婚活の成果も虚しい独身女性というところか。
「大岡越前が、母親に女の性欲について尋ねた際、彼女はだまって火鉢の灰を示したといいます。
女性のセックス欲求は死ぬまで枯れることがない―これは江戸の年増や婆にも当てはまります」
ただ、江戸の男たちはわざわざ年増を狙ったりしなかった。興味は素人の娘に集中しているのだ。
モテない男でも、遊郭でプロの娘を相手に性欲を発散させた。残念ながら、江戸に熟女ブームは存在しなかった。
「しかし、年増は果敢に逆モーションをかけます。ターゲットは若い男。今でいうイケメンの少年を誘惑し若い性を堪能していました。
年増は彼らの筆おろしをかって出たり、お気に入りを男妾として囲うのです。少年は年増によって一人前の男となり、娘とセックスする。
その娘が数年後にはまた少年を……と性の実地教育サイクルができていました」