12/06/17 17:39:07.09 tSusML8Q0
>>768
徳川家康は、災害のリスク分散の国土設計という点では、神懸かりに近い能力を持っていた。
まず、江戸と畿内を結ぶルートは、3本用意した。東海道・甲州街道・中山道。
中山道は、かなり無理に作ったルートで、律令制東山道は、高崎からそのまま栃木へ抜けてしまうものだったのに、
むりやり江戸に引きずり下ろしたルートで、かなり遠回り。
東海地域の災害で山梨はしばしば道連れになるので、甲州街道では足りない。
そして、中山道もリスクとして、浅間山噴火という問題を抱えていたから、
「中山道一本に絞る」という発想も取らなかった。
都市の選定においても、江戸は関東南部(旧北条領)の中では大変に優秀で、
鎌倉や小田原とは、安全性が比べものにならない。秀吉の提案に二つ返事だったのも頷ける。
だが、関東平野は、地球上でも稀に見る「地球物理学的な天然記念物地帯」であって、
21世紀の地球科学をしても解明されないほど、地下構造がカオスになっていることまでは、
さすがの神君家康公でも、想像できなかったということだろうw