12/06/16 09:02:25.16 0
「原発建設を止められなかった科学者として社会的責任がある」-。玄海原発の運転差し止め訴訟の
法廷に立った前佐賀大学長の長谷川照(あきら)原告団長(73)は、半世紀近く前を振り返りながら
意見陳述した。「原発問題への2度目の挑戦です」
長谷川氏の専門は原子核理論。京都大卒業後の1967年、佐賀大に助手として赴任。当時、玄海町では
九州初の原発となる玄海1号機の建設計画が進んでいた。
「原発は時期尚早だ」。コントロールできない核の脅威を知る長谷川さんは、反原発の立場から数々の
運動に参加。それでも施設は着工し、75年に営業運転が始まった。「最初の挑戦は敗れた」
理工学部教授に就任した95年まで運動に加わったが、仕事の忙しさから次第に疎遠に。だが、学長
退任の1年8カ月後に起きた東日本大震災で再び“反原発魂”に火が付いた。原爆が投下された広島、
長崎の被爆地と、大津波で全てを失った被災地が重なって見えた。
意見陳述後、長谷川氏は語った。
「福島原発事故後も『安全』と繰り返す国の原子力政策に風穴をあけるための訴訟だ」
ソース 西日本新聞 2012年6月16日
URLリンク(www.nishinippon.co.jp)
第1回口頭弁論で意見陳述するため佐賀地裁に入る長谷川照原告団長(右)
URLリンク(www.nishinippon.co.jp)