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小沢一郎民主党元代表は、震災後に放射能が怖くて逃げ出した―。
週刊文春は2012年6月14日発売号で 和子夫人が支援者にあてたというこんな内容の手紙を公開した。
震災発生後、小沢一郎氏が被災地の地元・岩手県にまったく姿を見せないことがマスコミで話題になった。
その理由が身内から明らかにされた形だが、小沢氏の事務所では、「全くのでたらめ」と内容を全面否定している。
和子夫人が11年11月に書いたという手紙によると、別居している和子夫人のところに
ほかの秘書たちを逃がし、小沢氏第一秘書が、震災発生から5日後の3月16日に訪れた。
そこで、「内々の放射能の情報を得た」として、自らの家族も大阪に避難させたことを明かした。
この秘書は、小沢氏も逃げるとして、和子夫人や息子たちもそうするよう促した。
和子夫人は怒って応じなかったが、小沢氏は、それでも塩を買い占めるなどした。
また、東京の水道水汚染が発表される2日前の3月21日には、 内々の情報を得たとして、
小沢氏は、書生らに命じて、料理や洗濯まで買った水でさせた。
さらに、3月25日に東京・世田谷区の自宅からどこかに逃げ出したほか、
長野への避難計画を5月に立てたり、 もらった魚や野菜も放射能を恐れて捨てたりした。
こうした行動を小沢氏が取ったとして、和子夫人は手紙で「岩手、国の為になるどころか害になることがはっきりわかりました」と批判した。
8年前に小沢氏に隠し子があることが分かって別居したが、今回の行動を受けて小沢氏とは離婚したと打ち明けている。
文春によると、小沢氏の事務所は取材に対し、第一秘書の家族が大阪に行ったのは法事のためで、
秘書が周囲に避難を勧めたことはないと回答した。和子夫人と離婚した事実もないとした。
ただ、小沢氏が岩手県庁に行ったのは3月28日になってからで、被災地は12年1月に震災後初めて訪れている。
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