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事件当時の葛尾は娯楽に乏しく、総会に際して行われる宴会は数少ない楽しみの一つだった。
その最中に起こった惨劇は地域社会に疑心暗鬼を産んだ。
奥西が逮捕された当初は、「犯人が特定された」という安堵により、
むしろ奥西の家族にも愛の手をさしのべようという呼び掛けが行われた。
しかし、奥西が否認に転じたことを知ると、家族への迫害が始まった。家族には一切口をきかず、家には投石された。
果ては夕食中の被告宅に被害者遺族が押しかけ「土下座して謝れ」と詰め寄る事もあったという。
こうした村八分の結果、家族が葛尾を去ると、何者かによって共同墓地にあった奥西の家の墓が暴かれ、
墓地の外にうち捨てられた。
葛尾は、事件当時、人口100人程度の集落であった。
奥西が無罪であった場合、葛尾の中に真犯人がいる可能性が高いと思われたため、
地域の「和」に再び波風を立てる結果になることを恐れたのである。
一方、小さな集落が全国区で話題になったことへの反発もあった。
その結果、奥西の無罪の可能性について公言することは憚られる状況になっているという