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「山が動いた」
1989年の参議院議員選挙で社会党の議席数が2倍に増えたことを
受け、当時の土井たか子・社会党委員長は「日本で変化が始まった」と大きな声を上げた。
日本の政党史上初の女性代表、初の女性衆議院議長でもある土井委員長は、
当時の革新政治の象徴だった。「日本のサッチャー」「日本のアキノ」といった賛辞も相次いだ。
土井委員長は、90年の衆議院議員選挙でも、社会党の議席を51議席から136議席に増やした。
政権獲得も目前のように思えた。実際、94年には村山富市・社会党委員長(当時)が、
連立政権という形ではあったが首相に就任した。
ところが社会党の「春」は、ある瞬間にバブルのようにはじけた。96年に社民党と名前を
変えた社会党は、2003年の衆院選では6議席の獲得にとどまり、土井委員長は選挙区で落選した。
かつて野党第1党だった社会党は、今では存在理由を確認することすら容易ではない少数政党へと転落した。
社会党と土井委員長が没落した原因については、さまざまな分析が出ているが、
決定打は「親北朝鮮主義」だった。北朝鮮に拉致された被害者の家族は、土井委員長の元を訪れた。
何度も北朝鮮を訪問していた土井委員長が、拉致問題解決の力になると期待したからだ。
ところが土井委員長と社会党は、逆に北朝鮮を擁護した。平壌を訪問するたびに、
個人崇拝・封建的権力世襲・人権弾圧・武力挑発などの実体的真実から目を背け、
賛辞を並べてきたことを考えると、当然の反応ともいえた。金日成(キム・イルソン)国家主席と
何度か会談した社会党のある議員は「人格的にもリーダーとしても実に立派な方で、
北朝鮮の住民たちから尊敬される理由が分かる」とまで発言した。
さらに社会党の一部は、87年の大韓航空機爆破テロを「韓国の自作自演」だとして、韓国を厳しく非難した。
つづきます
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