12/05/22 01:53:19.30 LtrIk2wp0
>>148
これも怖いなあ
1973年3月(日付不明) 関西電力美浜発電所1号機
美浜1号機において第三領域の核燃料棒が折損する事故が発生した。
しかしこの事故は当初外部には明らかにされず、関西電力は秘密裏に
核燃料集合体を交換しただけであった。
この事故が明らかになったのは、当時、雑誌『展望』に「原子力戦争」
(講談社文庫に収録)を連載していた田原総一朗に宛てて内部告発があったためである。
田原はこれを「美浜一号炉燃料棒事故の疑惑」(『原子力戦争』講談社文庫に収録)と
して明らかにした。これを受けて、衆議院議員の石野久男が
衆議院科学技術振興対策特別委員会などで追求した結果、原子力委員会は
この事故を認めた。しかし、原子力委員会が認めたのは1976年12月7日であり、
事故が発生してから4年近く経って後であった。
内部告発では、この事故は核燃料棒が溶融したものと指摘していたが、
原子力委員会の発表ではこれは溶融ではなく「何らかの理由で折損」したものであり、
「重大な事故ではない」としている。しかし、田原はこの発表に対し「原子力戦争」
の追記で、「この発表の内容はもとより発表前後の経過にも、つじつまの合わない点や
新たな疑惑が数多く指摘されており」と疑問を投げかけている。