12/05/21 14:21:55.82 0
★ネットの中のワタシはどこの私か
2ちゃんねるが素敵だったと思うのは、バックグラウンドにある現実世界の「自分」を一切排除した
新しい参画の場を作り出したこと。そこに低いハードルで参画できることを保証した。
論理性のある文章を書く必要性を排除し、「キボンヌ」「モナー」「ゴルァ」といった古い2ちゃん語は、
その語さえ用いればなんとなくその場にふさわしい発言と認められる緩やかさを実現した。
そして、2ちゃんねるに求められるコミュニケーション様式をコピペという形で広く伝えることも行われていた。
コピペは、2ちゃんねるというコミュニティにおける伝承される神話と考えることもできる。
昔から人々はムラ社会の中で神話を口承して共有し、コミュニティの成員としての意識を高めていった。
同様のことを過去の2ちゃんねるのコピペに見出すことができる。コピペの中にコミュニティにおける
規範意識が明確に示されているのだ。アスキーアートで描かれた「チラシの裏にでも書け」という自分語りへの警告や、
fusianasanのコピペによるネット上のリスクの啓発等々。それはコミュニティにおけるリスクや忌避すべき
態度をコピペの形で伝播させ、集団の成員となるためのハードルを下げるものだった。
その規範の中で、参加者は自ら発するコンテンツ内容を競うことになる。
いかに相手に役立つことを言えるのか、相手が興味関心を持っていることについて言えるのかだけに
参加のハードルを絞ることによって、ナレッジベースだけの非常に平等な社会を築き上げた。
でも、裏を返せばそれはかなりハードな事。眺めていたら楽しいかも知れないけれど、入っていこうと思ったら多くの人にはそれは難しいことになる。
つまらないことを一行書いて集団の成員になることは簡単だけれど、2ちゃんねらーとしての相手からの承認を得る、
つまりレスをつけてもらうのは難しい。コンテンツ勝負の形で2ちゃんねらーとしてのアイデンティティの形成に
失敗したユーザーは、その危機に対抗すべくジェンダーや国籍に逃げ場を見つける。
ネトウヨ現象などはその一つの現れと考えることもできるだろう。
2ちゃんねるにおける攻撃性は、そうしたシビアな環境が育んだものではないか。
cnet japan 抜粋 URLリンク(japan.cnet.com)