12/05/13 13:27:38.88 9QOmUX6S0
>>856
そろそろ少し出かけるのだが、まじめに聞いてくれてると思って、
色いろある中の一つだけ紹介。
西郷に対して、維新の功績を認めても、その後「征韓論」を主張したとして、
評価しない、或いは悪評価の方を取る輩が相当いる。
一番びっくりしたのが、あの仙石が国会の答弁で、西郷の後半は余り評価
できないと堂々と述べたことだが、それはこれが理由だろう。
しかし、征韓論は西郷が唱えたのではなく、もっと若い連中が開国した日本を
馬鹿にして旧態依然とした中華体制を続けようとしてた朝鮮政府に憤って主張したもの。
その直接の発端は、天皇親政に変わった日本が国書を届けようとしたが、
朝鮮政府が受け取らなかった。
なぜかというと日本の天皇からの国書を受け取ると、宗主国の中華の天子に対して
失礼に当たるという考え方。当時の朝鮮はこういう状態だった。
それに対して憤った国内の連中から征韓論が出たが、西郷は「自分を特使と
して派遣してくれ。国書を持っていく。」と申し出たわけだ。
その当時の政府の実質トップが、斬られる可能性もある外国への特使に自ら行くと
いう信じられない度量を見せた。もちろん小人数でだ。
こんなトップは古今東西探しても西郷しかいないだろう。
この時に、実際に西郷が朝鮮に特使として行っていれば、その後の日本と朝鮮の
関係は大きく変わっていた可能性がある。
西郷の人物の大きさを朝鮮の人たちも実感できたからだ。
ただ、それを洋行帰りの政府の要人達が阻止してしまったのが本当に残念。
小物というのは何時の時代も悪さをする。
それと西郷が征韓論を唱えたと誤解されているのは、西郷が自分を特使として
派遣してくれと言った際に、征韓論の強硬派をなだめるために、「もし自分が
斬られたら、その時には朝鮮を攻めればいい」という趣旨のことを言ったから。
しかし、これは方便で、実際は朝鮮も大西郷を斬れるわけがない。そういう事情なんだ。
もっと西南戦争も含めて詳細に説明したいが、今回はここまで。