12/05/05 19:36:41.14 gXYKK8E60
週刊現代が書いているような「エリート」観では国の役には立たない。
A サッカーボールでリフティングさせると誰にもできないような技とスピードを
もっているが、試合ではトラップにキレがなくボールをすぐに奪われてしまっ
て使い物にならないそんな男。
B リフティングは並だが、試合では相手のパスラインをどういうわけか予知して
カットできる男。
東大生のなかで優秀だと評価されてきたのはAの学生だが、実はBの方が優れて
いるのである。Aはスタッフとしては最高だがAにはリーダーとして方向判断はさ
せられない。Bがリーダー向けなのだ。
週刊現代が書いているような 「ガイドブックをパラパラと見てすぐに覚えて
しまった」 「視覚的記憶力の持ち主」
そんなのはスパイになら向いてるかもな w
そうするとやはり大学生活時代から社会と人々、政治と国際社会、芸術・技術
と人間、などについて鋭敏な感性をもって(どこかで読んだ知識ではなく)会話
をする学生、特に方向観・勘に優れた学生をきちんと見い出して評価して
あげることが大切である。
しかし、東大の教授は自らも知識偏重で勘の悪い人や政治的に御用学者と化して
いる人が多いので、これを今すぐに期待しようとするなら教授陣を入れ替える
必要すらあるだろう。
現在の東大がいかに勘が悪いかと福島原発事故で暴露されたが、9月入学という
バッドアイディアでさらに嘲笑を浴びることとなった。
想像力がまったくないのだろうか。日本の9月と言えば夏の疲れを引きずりつつ
しつこい残暑の日々を過ごさねばならず、しかもときおり毎年ちがう日に台風が来る。
台風は時に激しく、数度も来る。こんな月に厳しい残暑の中汗まみれで入学を迎え、
台風のなかでオリエンテーションをするつもりか? 東大の頭の中にはヨーロッパや
アメリカの9月しか存在しないようなのである。
こんな人種に日本のことを決める能力は期待できない。