12/05/06 22:17:05.68 /TKdUHxr0
>>924
国分町が歓楽街化したのは1970年代。
飲食店のほかにディスコも多くあったそうだ。
仙台市が政令市に移行した1989年(平成元年)前後の
バブル景気期が国分町の絶頂期だという。
バブル崩壊後、ピンクチラシが大量にまかれた時期があって、
条例制定や警察の取り締まり強化がなされて一掃された。
その後、会社や官官接待の減少から
キャバ嬢が路上にずら~~~~~っと並んで客引きするようになり、
景気が悪いとは言え、国分町通が最も華やかな時代となった。
キャバ嬢の客引きも警察に取り締まりを受けるようになり、
さらに仙台駅周辺の飲食店増加によって国分町は下火になった。
しかし、東北楽天が新規参入した2000年代半ばから
「仙台プチバブル」が始まり、やや息を吹き返した。
2008年にリーマンショックが発生すると、
路面店のガールズバーが出店出来るほど地価下落。。。
そこに2011年、東日本震災。。。
インフラがストップして営業が出来なくなった上に、
自粛ムードから客足が無くなり、息の根を止められたかに思われた。
しかし、5月頃から仙台に滞在している建設作業員・ボランティアなどが
国分町のデリヘルを利用するようになり、急激に回復が始まった。
その後は20年前のバブル期のような盛り上がりを見せ、
県外資本がどんどん入って
「復興バブル」の象徴のように取り上げられるようになった。← 今ココ