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政治家は専門家と違う。これだけ複雑化した現代社会において政治家が専門家になることなんて無理だ。
知見は専門家に委ねなければならない。政治家の役割は、無数ある専門的知見から、一つを選ぶこと。
そして選んだことを実行することだ。選ぶ際には専門知識は必要だが、それだけで判断するのは危険。
専門家の知見はその当時の論理的帰結によるものだろう。しかし世は摩訶不思議。論理だけではないん
ですよね。将来のこと、論理的でないこと、人間の情や何かなら何まで含めて、その時の世情や流れの中で
エイヤーと決める。これが政治判断だと思う。だからそのプロセスが大切。
だから判断する際には色んな専門的知見に触れなければならない。実績のあるたくさんの人が貴重な時間を
割いて教えてくれるので感謝です。専門家が自分の論が正しいと主張するのも当然だ。しかしどれが正解か、
分からななくなる。だから決定が必要であり、決定権者が必要になる。
政治家の実体験に基づいて、今の世情、世の流れからしてどうなのか。ある種の勘であり、エイヤ―となる
ことも多い。もちろん、専門家の専門的知見の激しいぶつかり合いをしっかりと理解した上でのことだが。
だからエイヤ―をするに必要な専門家の知見ももちろん必要。
民主党政権の大飯の再稼働の政治決定はエイヤ―だろうが、その過程が全く不透明。ここが大問題。
専門家の激しい議論の場が完全に封印されている。これでは政治家の決定役の役割を果たしていない。
僕がこれから最終判断するにあたって、池田氏の燃料調達コストの指摘は検討しなければならない
重要問題。
今僕に専門的知見を与えてくれているメンバーに、池田氏のこの指摘をぶつける。そしてどのような回答に
なるか、そこをしっかりと見る。政治家は判断するにあたって専門家の知見のぶつかり合いを作らなければ
ならない。昔は大変だったんでしょうね。しかし今はこのツイッターでできますから。
(>>2-に続く)
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