12/04/22 19:49:54.88 9tMkt1vw0
東芝 半導体事業の崩壊
NHKスペシャル「日本の群像 再起への20年」 第8回放送より
80年代後半、東芝の技術者が韓国メーカーに闇ルートから半導体技術を流出させる
86年、半導体事業部長川西にサムスンが接触
東芝の半導体製造工場である大分工場をサムスンに見せる
同工場の半導体製造部長をサムスンに引き抜かれる
90年代前半、韓国メーカーの台頭により日本の半導体事業の崩壊を招く
東芝半導体技術者が次々と辞めていく
94年フラッシュメモリ開発者の舛岡が東芝を退社し母校の東北大学教授に就任
破格の待遇でサムスンに顧問として転職した技術者は77人
転職した元東芝社員からフラッシュメモリの技術がサムスンに流出
サムスンに移籍した元東芝社員が東芝にフラッシュメモリの共同開発を提案、
東芝が同意、一時的に東芝も売上向上する
しかし、すぐにサムスンに逆転され、フラッシュメモリ世界一の座を奪われる
2001年、東芝は大赤字、1万7千人のリストラ
2002年、DRAM事業撤退 社員を解雇
URLリンク(www.youtube.com)