12/04/19 20:09:41.83 9Hzrk8V0i
>>257
◆宮古・八重山の琉球処分の状況
明治政府によって一方的に琉球藩が廃止され、沖縄県が設置されると、宮古・八重山にも処分官が派遣された。
八重山では役人を中心に、沖縄島の親清派の影響を受けた人々によって日本帰属反対のうごきがおこった。
だが、いざ処分官が派遣されてくると、在番・頭以下の役人は、処分官のきびしい要求に抗しきれず、
「天皇に忠誠をつくす」旨の誓約書を提出させられた。
最後の八重山在番となった渡慶次ペーチンは、その帰沖の途上、海上に身を投じて自殺した。
宮古でも日本帰属反対のうごきが大きく、県制が実施されると「日本政府には絶対に従わない」という血判状が作成され、
役人を中心に多くの島民が署名した。
『高等学校琉球・沖縄史』より