12/04/17 09:34:30.59 0WCvK9nb0
>>54
尖閣諸島は、沖縄・石垣島の北東に位置し、魚釣島、南小島、北小島、久場島、大正島の5島と3つの岩を指している。
この尖閣諸島を開拓したのが、1856年、福岡県八女市に生まれた実業家である古賀辰四郎氏である。
「今でも、10月から5月初頭くらいまでは偏西風が吹いて、常時、風速15メートル前後の強風が吹く絶海の孤島です。
その尖閣諸島を、辰四郎氏が4人目にして初めて、開拓に成功したと聞いています。
その功績から、明治政府から尖閣諸島4島を借り受け、カツオ節工場やアホウドリの羽の加工場を設け、
一時は200人以上が島で暮らしていたそうです」(弘行氏)
その後、1932年に辰四郎氏の長男・善次氏に4島が払い下げられたが、
戦争のため1940年代前半からは無人状態になっていたという。そして-。
「善次・花子ご夫婦にお子さんがいらっしゃらず、私の兄を実子のようにかわいがっていただきました。
そのご縁で、72年から栗原家が2島を譲り受けることになり、善次さんが78年にお亡くなりになると、
資産は花子さんに移りましたが、その際に魚釣島も栗原家に譲渡してくださいました。
88年1月に花子さんがお亡くなりになると、遺言書によって、その他の資産も栗原家が引き継ぐことになりました」
一部報道では、約4600万円で古賀氏から譲り受けたとある。
「69年、すでに国連の調査で地下資源が確認されていますから、そのような(少ない)額ではありません。
ただし、兄はお金儲けで島を譲り受けたのではありません。
『島を自然のままで残して欲しい』『父たちが開拓した歴史を残してほしい』という善次氏の遺志を受け継ぎ、
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譲り受けた資産を財団法人古賀協会の設立と記念碑の建立に注ぎました」
<中略>
バブル前には、私が知るだけでも、魚釣島だけで約150億円、3島350億円で島を売ってくれというオファーが、
石油系企業からあったことを記憶しています。しかし、兄はそういった企業関係者と面会したこともありません」(弘行氏)
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