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■この意味に気付いているマスコミや一般人は、一体何人いるのか?
『「公務員に強制される」事は、全体主義の過程に突入した可能性がある』。
『橋下により、「君が代」が「全体主義のシンボル化」し、「橋下への忠誠を試す踏絵」になった』。
「組織論」の前に「思想信条の自由」が有先されるのに。
一体、マルチン・ニーメラーの言葉の何段階目に来ているのか…。
■これからどうなるの?
橋下が君が代斉唱や国旗掲揚をしない公務員を弾圧した時、私は不安に駆られたが、自分はきちんとやるべきと思っていたので、何の行動も起こさなかった。
その次、橋下は他の公務員を弾圧した。私はさらに不安を感じたが 自分は公務員ではないので何の抗議もしなかった。
それから橋下は社会的弱者へと順次弾圧の輪を広げていった。その度に私の不安は増大したが それでも私は何も行動を起こさなかった。
ある日ついに 橋下一般住民を弾圧してきた…。その日とうとう住民サービスがカットされた。
そして私は一般住民だった。だから、やっとのことで、行動に立ち上がった。
しかし、その時はすべてが あまりにも遅かった。
◆マルチン・ニーメラー(1892.1.14~1984.3.6 ナチスドイツに抵抗した牧師)の詩
『ナチスが共産主義者を弾圧した時、私は不安に駆られたが、
自分は共産主義者でなかったので、何の行動も起こさなかった。
その次、ナチスは社会主義者を弾圧した。私はさらに不安を感じたが、
自分は社会主義者ではないので、何の抗議もしなかった。
それからナチスは、学生、新聞、ユダヤ人と、次々に弾圧の輪を広げていき、
その度に私の不安は増したが、それでも私は行動しなかった。
ある日、ついにナチスは教会を弾圧してきた、そして私は牧師だった。
だから行動に立ち上がったが、その時はすべてがあまりにも遅かった』
遠い過去にあった悲劇が、いつの間にか私達の目の前に来ています。それでも無関係だと言い続けますか?