12/04/20 13:02:08.79 aFUepwuJ0
>>222
プライベートな場所でしか保障されない時点で民主主義の根幹は揺らいでると言えます。
多数派の価値観に照らしあわせて認められる表現は、式典でもどこでも表現してよく、
多数派の価値観に照らしあわせて認められない少数派の思想または信念の表現は
多数派が定めた法または規則に従ってプライベートな場以外では表現してはいけないと言う事になれば、
それぞれの主張が人々に受け入れられる為の競争条件はどう考えても公平ではなくなりますし、
選挙の結果にも、当然その差は反映され、民主主義は形だけのものになります。
また憲法が保障する表現の自由と府条例あるいは職務命令の釣り合いをとった場合、
どう考えても憲法が保障する表現の自由の方が完全に優越します。
同様の理由で法令、職務命令の違反を理由に公共の福祉を主張する事は到底道理に合わない。
そのような理屈が通るなら、公共の福祉に制約されるどのような憲法上の権利よりも、
法令、条例、命令の方が優越する事になり、憲法の条文は飾りに過ぎなくなる。
またアメリカの判例では教師の忠誠の誓いの拒否が、子供の教育に悪影響があるかもしれない、
または、規律上の問題が生まれるかもしれないという
単なる不安または恐れは表現の自由を制約するのに十分ではないとしている。
それに、単なる不快感で表現の自由を制約する事は認められないとしている。
不起立行為に、万人の目に明らかに映る、制約しなければならないような重大な害悪が存在しているとは、
どう考えても思えない。