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髪形の「パンチパーマ」を考案した北九州市小倉北区紺屋町、「ヘアサロン永沼」の理容師、永沼重己(ながぬま・しげみ)さんが3日、
75歳で亡くなった。若いころ、ヘアアイロンを改良してパーマのかかりを強くし、黒人の髪形をヒントに編み出したのが「パンチパーマ」だった。
永沼さんが試行錯誤を繰り返して考えたこの髪形は瞬く間に「画期的」と評判を呼び、全国に広まる大人気となった。
19歳で地元・小倉の理容師に弟子入りし、26歳で独立。当時、パーマをかけるためのヘアアイロンは棒の先端部分が細い円柱状で、
パーマのかかりが弱かった。そこで仕事を終えた夜に自らやすりで削り、鉛筆のような六角柱にするなど改良を重ねた。
角の立ったアイロンは髪を挟みやすく、パーマも強くかかるようになった。
永沼さんはこれを「エッヂアイロン」として実用新案登録。「これ以上ない髪形」の意味を込めて「チャンピオンプレス」と名付けたが、
全国に広まるうちにいつしか「パンチパーマ」と呼ばれるようになったという。1970~80年代には、プロスポーツ選手や若者に好まれ、
地元でも小倉祇園太鼓など夏祭りの時期には客が増えた。永沼さんは「男性的な強さがあるヘアスタイルだからでしょう」と話していた。
画像 職人技でパンチパーマ2件を仕上げていく在りし日の永沼さん=北九州市小倉北区紺屋町で2009年5月、佐藤敬一撮影
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ソース 毎日新聞
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(続)