12/04/09 02:17:26.76 7JQg4PLUO
>>216
座頭市のモデルになったのは阿部常衛門という人らしいが、この人は越後長岡藩の藩主、牧野家のご落胤だそうな
文武に秀でていたらしいが、盲目になり、その後会津にいったものらしい
だから時期から考えると、彼が学んだのは越後長岡藩の流儀だろうから、会津の大東流じゃなかろう。墓は会津にあるらしいが
そして彼が亡くなったのは1859年。大東流の中興の祖(と言われている)武田惣角が生まれたのが1870年
だから阿部常衛門(座頭市)が武田惣角に大東流を習うことはあり得ない
ちなみに大東流という流派の記録は武田惣角以前はほとんど無いらしいので、最近は武田が創始した流派だという説が強いんだそうな
まぁそうでなかったとしても、彼が大東流を学ぶ機会はまず無かった、と考えるべきでは