12/04/02 23:33:11.82 ab1y6qQ10
>>215 >>213 >>209 >>207
1917年9月 9月30日
東京湾で「大正六年の大津波」と呼ばれる高潮水害が発生。
東京の佃、月島、築地、品川、深川地区が浸水、
市川、船橋など千葉県の東京湾岸一帯に被害を及ぼす。
横浜港で多数の船が転覆したほか、行徳の塩田も壊滅状態に。
当時の、読売新聞の記事を読んでみようか。
「浦安のごときは最も悲惨なもので、245の部落は全滅して
全村家なく、
海上の漁船が全部陸上に打ち上げられて、
それが重なり合って船の市街を形造っている有様だ。」とある。
さらに「千葉町は海岸に面せる市街全部破壊され、」とある。
10月17日の読売新聞に出ている被害状況は、
関東1都4県で死者行方不明約3千人、
全半壊流失家屋約6万棟、床上下浸水家屋22万棟という、
すさまじいものだった。
「大正六年の大津波」と呼ばれる高潮水害によって、
東京湾奥部の内湾に面している
建物のほとんどがなくなってしまったんだ。
死者も被害家屋数も、
人口密集地の東京が一番多かったことを忘れてはいけない。