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・勝間和代がホスト役を務める対談番組「デキビジ」に出演した。テーマは死刑制度。勝間は
自分が死刑廃止論者であることを、とても率直な言い回しで僕に語った。
なぜこの国は死刑を廃止できないのでしょうと何度も訊ねてきたけれど、答えることはできなかった。
だって僕もその答えを、誰かに訊きたいといつも思っているのだから。
この番組はオンエア前に、ニコニコ動画でもライブで配信された。
その後のネットやツイッターには、勝間と森に対して、激しい批判が次々に書きこまれた。
いや批判ではない。ほとんど罵倒だ。
「この人らに聞きたい。被害者遺族のことは考えているのか?と」
「身内殺されてもこんなこと言ってられるのかね こういう人達は」
ほとんどがこのトーンだ。つまりはこれが、日本の死刑制度存置を支持する9割近い人たちの
本音ということになるのだろうか。
ならばまずは、「死刑制度がある理由は被害者遺族のため」と言い切る人たちに訊きたい。
もしも遺族がまったくいない天涯孤独な人が殺されたとき、その犯人が受ける罰は、軽く
なってよいのだろうか。
死刑制度は被害者遺族のためにあるとするならば、そういうことになる。だって重罰を望む遺族が
いないのだから。ならば親戚や知人が多くいる政治家の命は、友人も親戚もいないホームレスより
尊いということになる。
つまり命の価値が、被害者の立場や状況によって変わる。ならばその瞬間に、近代司法の
大原則である罪刑法定主義が崩壊する。
でも不特定多数の殺傷を狙ったオウム真理教による地下鉄サリン事件以降、自分や自分の
家族も被害者になったかもしれないとの危機意識が刺激されたことで被害者遺族への注目や
関心が急激に高まり、共有化された被害者感情は罪と罰のバランスを変容させながら厳罰化を
加速させ、民意から強いバイアスをかけられた司法は、原理原則よりも世相を気にし始めた。
なぜなら世相が望む刑罰より軽い判決を下したら、今度は自分がバッシングされるのだ。
裁判所内の出世にも響くかもしれない。こうして厳罰化はさらに加速する。つまりポピュリズムだ。
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