12/03/27 16:22:04.37 XPzNwoy70
>>877
当時朝鮮人は帝國臣民であっても日本人じゃありません。日本(内地)渡航は大半が密入国者
朝鮮人は朝鮮の在来住民である。1910年の韓国併合の際に大日本帝国国民になった。
戸籍法の適用を受けず、民籍という籍を有した。民籍法(1909年、大韓帝国)のち朝鮮戸籍令(1923年)
内地人以外の日本国民を総称して「戸籍法ノ適用ヲ受ケザル者」などと言った。(身分制度です)
朝鮮人の内地渡航は制限されていたが、明治四十三年の日韓併合以降(明治四十四年年末で二千五百余り。
以下、百の位以下は切り捨てで表示する)、一貫して内地の朝鮮人人口は増え続けてきた。
とりわけ大正十年から終戦までの二十五年間は顕著で、森田芳夫氏によれば、
在内地の朝鮮人人口は大正十年末には約三万八千だったのが、昭和二年末には約十六万五千と増加し、
昭和十三年末には七十九万九千に達している。先に述べたように朝鮮半島での戦時動員は
昭和十四年九月にはじまるが、戦時動員が始まった時には既に
約八十万の朝鮮人が日本内地に在住していたのである。
戦前の新聞記事見出しより
『四百廿余名の密航鮮人/内地へ続々と侵入』 福岡日日 1938/1/30
『福岡沿岸に密航鮮人頻々/ブローカーと連絡/本年に入つて五百名』 福岡日日 1938/3/3
『また密航鮮人/西戸崎で六十五名逮捕』 福岡日日 1938/3/3
『密航鮮人四十名西戸崎に上陸(粕屋郡志賀島村)』 福岡日日 1938/3/29
『密航鮮人団上陸/トラック運転手の気転で大半は逮捕される(遠賀郡水巻村)』 福岡日日 1938/5/2
『鮮人の内地密航あの手この手/驚くべき大胆な玄海突破や九ヶ月苦心の方法』 神戸新聞 1938/5/21