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>>681
●鎌田慧「壮大なるフィクション」(『靴をはいた巨大児』日本評論社、1981年発行、に収録)より
《羽田は5年間でパンクする、ということがしきりにいわれていた。新空港が必要だ、といわれてからすでに15年たっていた。
三里塚にその位置が決定されてからでも、もう12年になる。
それでも羽田はいっこうにパンクしそうにない。とすると、「成田空港」とはなんであったのか、が疑問になる。》
《1976年秋の閣議では、羽田にもうひとつ滑走路をつくることが決定された。
3200メートルあるから、ジャンボが発着するにはなんの不自由もない。
羽田拡張計画は、なにもそのころからはじまったことではなく、政府に72年当時からすでにあった。
こっちのほうが、成田につくるよりも安くつく計算だった。滑走路2本つくって、である。
成田にはすでに6200億円もの資金が投下された。これから完成するのに必要な資金は、2兆とも3兆ともいわれている。
羽田拡張で十分まにあうのに、あえて成田につくるとしたら、それは関連産業を潤すためである、としか考えようがない。
「空港」にいくしか用のない人間をはこぶ新幹線さえも、まったくよぶんな投資である。》