12/03/20 14:52:12.66 uctB9w3j0
菅と佐藤幸徳には共通項があるような。
「結局、大本営、総軍、方面軍、15軍というばかの4乗が、イ ンパールの悲劇を招来したのである」
このようなほとんどナルシズムに近接した自信と傲慢とも見える自尊の 精神は、軍人向き、と言いたいところですが、彼の場合、それは軍人の許 容範囲をすでに逸脱しているようにも思えます。
思うに、こういうタイプの人物は大英雄になるか破滅するかのいずれか しかないような気がします。
佐藤の「烈」師団は1944年3月、インパール攻略の北翼部隊として進 発、4月初めにはインパール北方の要衝コヒマに到達しましたが、5月末に はこれを放棄して撤退しています。
「烈」の撤退は、佐藤の明確な命令に基づくもので、それは第15軍の命 令を無視して下されたものでした。これは、太平洋戦争における日本軍唯 一の抗命(命令違反)事件となりました。
確かに言えることは、15軍の意向に反して撤退を決意したときも、彼の 過剰なまでの自信に満ちた態度がなんら変わらなかったことでしょう。
彼 は自分が正しい判断に基づいて行動していることを微塵も疑っていません でした。
その後の撤退中の「烈」師団と15軍のやりとりはすさまじいものでし た。
遠方から現地の事情を無視した命令を下す15軍司令部に対して、佐藤 は臆するどころか、「約束の補給が得られるまでは、ラングーン(ヤンゴ ン)までも退く」と、逆に恫喝せんばかりの内容の電報を送っています。