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■「…のも全ては憲法9条が原因」
去る2月24日に、橋下徹大阪市長が、「がれきの処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています」
「平和を維持するために自ら汗をかかないというのが9条の根源的な精神だと思う」「嫌な事でもやらなきゃいけないという教育を自分は受けたことがない。
そういう価値観を教員がたたき込んで来たんじゃないか」と発言した。
この発言が現代日本史の一面の真理を突いていることと橋下市長のカリスマ性により、例えば、
「ボクが彼女に振られたのも、全ては憲法9条が原因だと思っています」といった、面白いが意味の通らない流行(はり)り台詞(せりふ)を生んでいる。
また新しい「橋下現象」の出現であるが、それは、橋下市長の存在が(既存の権力者にとっては不快かもしれないが、)大衆から愛されている証左であろう。
確かに、日本国憲法は、前文で、一方的に「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と宣言し、
9条で、「戦争…を放棄」し(1項)「戦力…を保持しない」と決めておけば平和だ…という空想的な構図になっている。
しかし、現実には、その後のわが国は、東西冷戦という軍事的対立の狭間にあって、まず西側(つまりアメリカ側の軍事同盟)に与するという選択をした上で、
自衛隊と米軍という「戦力」により平和を維持して来た。にもかかわらず、学校の教室内では、
「憲法9条のお陰で平和が守られている」というフィクションが語られ続けてきた。
そこから、橋下市長が言うように、国防のための負担という「嫌な事でもやらなきゃいけない」事を直視しないでも何とかなる…
という傾向性が日本国民の間に芽生えたのは事実であろう。(>>2-3へ続く)
日本海新聞 2012/03/13の紙面より
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