12/03/13 11:04:46.54 0
(>>1のつづき)
ネトウヨというのは、人々の頭の中にだけ存在するものなのだろうか。そんなことを書いていると
また批判が寄せられそうだが、それはそれで歓迎する。話が逸れたが、韓流偏向放送批判だったはずの
抗議が、韓流そのもののを否定するまでになった今の韓流批判。そこには日韓のアイドル事情の違いが
垣間見える。
多くの人が指摘するように、日本のアイドルの特徴はその「不完全さ」にある。それは80年代の
アイドルブームから受け継がれた日本独特のアイドル文化だ。そして、その不完全さの魅力とは、
「不完全な自分と合わせて一体化できる」という点ではないだろうか。つまり、アイドルのファンというのは、
不完全なアイドルと不完全な自分を重ね合わせ、一体となり、完成させることで大きな喜びを得る。
これが日本のアイドルとファンの関係といえるだろう。そして、この一体となる喜びは、性的な興奮とは
一線を画す。それが証拠に、日本ではアイドルとはまた違う、性的興奮を満たすためのアイドルが
生まれた。グラビアアイドルである。
よく、AKB48に対して「どこにでもいそうじゃん」という否定的意見を耳にする。が、この意見は正しい。
なぜなら、そういった「どこにでもいそうな感じ」こそが、不完全さを象徴しているからだ。先日目にした
AKB48のバラエティ番組で、彼女たちが街を歩いているシーンがあったが、そこに映っているのは、
ダラダラと歩くただの少女である。きっと彼女たちは"芸能人らしい歩き方"というものを教えられて
いないのだろう。それをしてしまうと完全な形になってしまうからだ。あえてそうしないことで、不完全さを
強調させているのだろう。AKB48とは、つまり日本のアイドルの正当な後継者なのである。
一方、韓流アイドルたちは歌も踊りもスタイルも顔も完璧である。もちろん、そこにはセックス
アピールという魅力も含まれる。何から何まで完璧なアイドルというのは、これまでの日本アイドル史には
存在しなかったのではないか。もちろんそれは日本のアイドルとはまったくの別物。比べることがおかしい
というものだろう。(>>3-10につづく)