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昔から朝鮮は日本に何度も攻められていた。
346年 倭の軍隊が突然に風島を襲い、さらに進軍して金城(新羅首都)を包囲して激しく攻めた。【三国史記・新羅本紀】
364年 倭兵大いに至る。 新羅王はこれを聞き、とても敵わないと恐れる。【三国史記・新羅本紀】
391年 倭が海を渡り、百残(百済)、□□新羅を破り、これを臣民とする【広開土王碑】
393年 倭人が侵入し、金城を包囲して5日間も解かなかった。【三国史記・新羅本紀】
397年 百済、倭国と国交を結び王子の腆支(テンシ)を人質に送る。【三国史記・百済本紀】
399年 倭が新羅の国境に満ち城池を潰破し民を奴客とし、百済は誓いを違えて倭に通じた。【広開土王碑】
400年 倭が、新羅城の内に満ちる。新羅救援の高句麗軍が接近すると倭賊は任那・加羅に退いた。【広開土王碑】
402年 新羅、倭国と国交を結び奈忽王の子の未斯欣(ミシキン)を人質に送る。【三国史記・新羅本紀】
404年 倭、不軌にも帯方界に侵入し、高句麗軍と戦う。【広開土王碑】
405年 倭国に人質となっていた百済王子の腆支、倭国の護衛により海中の島にて待機してのち百済王として即位。【三国史記・百済本紀】
405年 倭兵が侵入し、明活城(慶州市普門里)を攻撃。【三国史記・新羅本紀】
407年 倭人が東部と南部へ侵入。【三国史記・新羅本紀】
407年 万を超える倭が進出。【広開土王碑】
425~443年の間 倭国王珍が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
451年 宋が倭国王済を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東将軍・倭国王に任ず。【『宋書』倭国伝】
462~478年の間 倭国王武が、自ら使持節都督・倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・七国諸軍事・安東大将軍・倭国王と称す。【『宋書』倭国伝】
478年 宋が倭国王武を、使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓・六国諸軍事・安東大将軍・倭王に任ず。【『宋書』倭国伝】