12/03/11 21:41:13.18 0
平成23年3月11日午後2時46分。ぐらっと揺れた瞬間、
国会内の第1委員会室で菅直人首相(当時)がみせたこわばった表情が目に焼き付いている。
数多くの犠牲者を出した東日本大震災から丸1年を迎えたが、ガレキ処理をはじめ被災地復興の足取りは鈍い。
同時に、この1年で民主党政権がいかに「粗悪品」だったかが浮き彫りにもなった。
その実態を福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の報告書が示している。
報告書によると、菅氏は周囲の反対を押し切り、震災発生翌日の早朝、東京電力福島第1原発を視察した。
結局、現場の混乱を増幅しただけに終わった。
さらに、第1原発に代替バッテリーが必要になった際、菅氏は自らの携帯電話で担当者に「大きさは?」
「縦横何メートル?」「重さは?」と質問した。同席者からは「首相がそんな細かいことまで聞くなんて国としてどうなのか、ぞっとした」
という証言もある。
未曾有の震災に対し、一国の宰相はどう対応し、何をすべきなのか。「イラ菅」ともいわれる菅氏の性格にもよるが、
結果的に官邸中枢を支える官僚の萎縮や不信感を招き、国家危機への対応は「その場しのぎ」の連続だった。
震災以来、会議を重ねてきた政府の「原子力災害対策本部」などの議事録が未作成のまま放置されていたことも、
今年1月になって判明した。
政府は9日、初めて議事録の概要を公表した。だが、炉心溶融(メルトダウン)への対応や
退避指示など司令塔である首相官邸がここでも機能していなかったことを浮き彫りにしている。
それ以上に問題なのは議事録の概要は対策本部の会合の出席者が書き残していたメモなどをもとに再現しており、
とても「議事録」の名に値しない。これでは当時の政策決定がどのように行われたか検証できないうえ、
今後も予想される首都直下地震など有事への教訓にもならない。
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
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