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■「アジアを救うことこそ日本の役割」
イギリスの植民地支配のもとで衰退した仏教を再興しようと 19世紀末に立ち上がったのが、スリランカ建国の父と呼ばれるアナガーリカ・ダルマパーラであった。
敬虔な仏教徒の家に生まれたが、当時のキリスト教の強い影響で、聖書にちなんだダビッドという名をつけられていた。
しかし仏教再興運動を進める中で、自ら「アナガーリカ(出家者) ・ダルマパーラ(法の保護者)」と名乗ったのだった。
ダルマパーラは仏教の縁で、明治22(1889)年2月に初めて日本を訪れた。
おりしも大日本帝国憲法発布式が行われており、 ダルマパーラは近代日本の胎動を目の当たりにした。
ダルマパーラは明治25(1892)年に2回目、明治35(1902)年に3回目の来日を果たした。
3度目の来日の2か月前、日英同盟が結ばれており、ダルマパーラは「欧米人のアジア人に対する差別的偏見をなくし、植民地支配という悲劇の中にあるア ジアを救うことこそ日本の役割なのだ」と語っている。
その2年後、日本は大国ロシアに対して戦いを挑み、これを打ち破った。
日本の勝利にスリランカの人々は熱狂した。
ダル マパーラも「こんな素晴らしいことはない。皆さんは気づいていないかも知れないが、皆さん日本人によってアジアはまさに死の淵から生還したのだ」と語っている。