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自分を航空自衛隊最高司令官として遇した日本の度量の広さに感動したルメイは、積極的に日本のために貢献した。
米軍最新鋭の軍事情報や航空戦闘技術等を惜しみなく伝授し、これがCIAの不興を買ってルメイはアメリカ国籍を剥奪されてしまう。
昭和39年、ルメイは「戦時中空襲によって頑迷な軍首脳たちの戦争継続の意図を挫いてくれた。そのおかげで今の平和な日本がある」
という授賞理由で勲一等を昭和天皇自らの手で授けられた。
ルメイは昭和天皇から賜った
「幾多のやむを得ない犠牲はありましたが、そのおかげでわが国は平和で豊かになりました。あなたのおかげです。心からお礼を言います」
のお言葉に号泣。昭和天皇の膝にすがりついて
「私は不幸だった!私は日本人に生まれ日本に尽くすべきだった!
私を利用するだけ利用してゴミのように使い捨てにして息子を殺した合衆国こそ鬼畜そのものだ!」
と男泣きに泣き、以後「勝洲留銘」を名乗り日本国籍を取得、二度とアメリカの地を踏むことも、人前で英語を使うことすらしなかった。
1990年に没するまでに、「勝洲留銘のニッポン放談」(ラジオ関東)「めりけん爺ちゃん大いに怒る!」(週刊サンケイ)
などの保守系メディアで辛口の外交寸評や軍事評論を行うなど精力的に活動した。
晩年にはトーク番組で同席したケント・ギルバートやデーブ・スペクターに
「私はルーズベルトとトルーマンから『日本人を一人残らずバーベキューにしろ』と直接命令を受けたんだ!奴らこそ人の仮面をかぶった悪魔だった!」
「日本に南京大虐殺を詫びろというなら、アメリカ人による『東京大虐殺』は全国民が死んで詫びなければいけない罪業なんだ!」
「アメリカは罪もない女子供すら平気で何万人も焼き殺した!命乞いし逃げまどう一般市民を何万人も、笑いながら焼き殺したんだぞ!
全国民が人殺しが大好きな『イマダ・ユウコ』同様の狂った変態サイコ殺人鬼だ!鬼畜米英とはまさに奴らのことだ!」
と怒鳴りつけるなどの「青い目の頑固ジジイ」の姿は、今でも覚えている者は多いことだろう。
勝洲留銘は1990年、恩人源田実の後を追うように安らかに永眠した。
その最期は教え子であった多くの自衛隊幹部たちに見守られ、特例を以て靖国神社に納骨された。