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―1995年1月17日の阪神大震災の時は、いつ発生を知ったのか。
(発生から約15分後の)朝6時のNHKのニュースで初めて知った。全然想定もしていないし、備えが不十分だった。
当時は24時間態勢でいち早く対応できる仕組みがなかった。弁明の余地はなく、僕は初動の対応が遅れたと謝罪した。
―復旧・復興に向けた政治決断は速かった。
責任の所在をはっきりさせ、各省が現地の状況を的確に把握して、それぞれの分野で責任を持って仕事をした。
国会も行政も内閣も一体となって一つの目標に向かって取り組んだ。必要な法律の改正案も全て即座に可決された。
そういう意味では大変うまくいった。
東京電力福島第1原発の事故で、官房長官と原子力安全・保安院、東京電力がそれぞれ記者会見したが
国民は何を信じていいのか分からない。「直ちに被害はない」ということは、いずれ被害があるのかと疑念を持つ。
一事が万事そんなふうだったから、国民はかえって不安に思った。専門の学者を抱え込んでも、
どこに責任の所在があるのか、何をしているのか全く曖昧模糊(もこ)だった。
―民主党政権の「政治主導」が裏目に出た。
官僚と政治家が全くばらばらの格好じゃろ。阪神大震災の時とは全然違う。現地で担当している人が一番よく事態を分かるわけで、
臨機応変に判断してしっかりやってくれと言った。何かあったときは僕が責任を持つからと。
阪神大震災を経験して、政治は「後追い」だと感じた。ああいうことを経験して、初めてこれが悪かった、足りなかったと補う。
阪神大震災の前に今の体制ができていたら、もっと機敏に対応できたかもしれない。
(東日本大震災では)整えたはずの官邸の危機管理態勢が生かされていない。菅(直人前首相)さんも本人なりに
一生懸命やったと思うけどね。内閣と官僚が一体となって、それぞれの部署が連携しながら責任を持って推進していく
体制ができたから、僕はうまくいった。やはり組織と人の連携じゃな。
時事通信 3月6日(火)17時32分配信
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