12/03/06 00:54:04.72 sI8s/EA4O
>>58
■この草案に大きな関心を寄せたのがGHQ(連合国軍総司令部)
▽1945/12/31 新聞発表の3日後すぐに鈴木案が翻訳され、ラウエル中佐が内容を詳細に分析
▽1946/01/11 『鈴木案へのGHQレポートで、ラウエル中佐は「民主的で賛成できる(democratic and acceptable)」と高く評価』
▽1946/01/11 ラウエル中佐が鈴木案を叩き台とし、さらに要綱に欠けていた
「憲法の最高法規性、違憲法令(立法)審査権、最高裁裁判官の選任方法、刑事裁判における人権保障(人身の自由規定)、地方公務員の選挙規定」
など10項目の原則を追加して、《幕僚長に対する覚書(案件)私的グループによる憲法草案に対する所見》を起草。
これに、コートニー・ホイットニー民政局長も署名…これがマッカーサー草案の基礎になった。
◆《ラウエル文書》…憲法改正に関するGHQ側の記録
『以前から「GHQ草案を基にした憲法が制定後、鈴木安蔵 案・憲法草案要綱と似ている」ことが早くから指摘されていたが、
ラウエルが「要綱は民主的で賛成できる」と評価した文書の発見で、要綱が大きな影響を与えたことが確認された』。
▽当時の日本政府も憲法改正要綱を準備していたが、それは、天皇を中心とする国体保全主義の明治憲法を、部分的に手直ししたに過ぎなかった。
▽1946年2月 業を煮やしたマッカーサーは日本政府にGHQ案 提示…今の憲法がアメリカによる「押し付け憲法」と呼ばれる由縁
しかし、『GHQがわずか10日足らずで書き上げる事ができたのには、理由(わけ)があった…鈴木案を下敷きにしベース・手本にした』。
【重要】つまり、『鈴木案が、GHQの手を経て日本国憲法になったのだ。日本国憲法の意思・英知は、日本人によるものだった』。
『後に、GHQ民政局・法規課長 マイロ・ラウエル中佐(鈴木案を分析しGHQ案起草の中心人物)は、「鈴木達の案を参考に使った」と証言』。